逝く者は斯くの如きか

子在川上曰、逝者如斯夫、不舎昼夜。

子 川の上【ほとり】に在りて曰く、逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎【お】かず、と。

                                『論語』子罕編

先生は川のほとりで次の様に仰った。「過ぎゆくものはこの川の流れのようだなぁ、昼も夜も止まることがない」という日本語訳になるかな。

「川上の嘆」と言われて、とても有名な論語の一節なんです。

この一節に全く逆の2つの意味があるんですが、知ってました??

古めの説(古注)

古くから論語には注釈が付けられてきて、その当時の人がこの一節をどのように読んでいたのかが分かるんですが、それを見ると「逝者」を過ぎゆく時間と捉えてる。

川の流れを見ながら、しみじみと言うわけです。時間は容赦なく過ぎ去っていく、私も歳を取ったものだ。。。

歳を取ると、時間の流れが早く感じられて、また残された時間もやや意識するようになって、と、現代でも孔子の嘆きを感じ取れます。

新しめの説(新注)

宋代になると、少し捉え方が変わってきまして、ポジティブになります。

川の流れに、尽きぬエネルギーを見るわけです。見よ、この川の流れを。滔々と休むことなく流れておる。我々もこのエネルギーをもって精進しようではないか!

超絶ポジティブです。若干無理あるだろっと。

さぁ、どっちなんでしょう?

読む人それぞれ、とか身も蓋もないようなことを言ってみたり。

ただ、こういう断片的な一説は、仕方ないところがありますよね。

孔子が何歳の頃に言った言葉なのか、川のほとりって具体的にはどこなのか、そういうことが分かれば、ある程度は発言時の気分というのが捉えられるので、どちらか一方だと言いやすい。

あとは、使われている漢字からもそのニュアンスをつかむことができます。ポイントは「」でしょうね。

こんな感じに、情報が不足しているので、色々想像してしまうわけです。

案外、孔子自身がびっくりしてるかも知れませんね、つぶやきがリツイートされまくってる感じなので。(違うか)

そう思うと、孔子はある思いをもって弟子に話したのでしょうが、聞き取った弟子もそれぞれに受け取ったことでしょう。

少なくとも、弟子はこの言葉に深く感じるところがあって、後に『論語』としてまとめることになるのですから。

時の流れが早いことに深く共感するもよし、目標に向かって頑張るぞっと気合い入れるもよし。

どう受け取るかは、あなた次第。

参考文献

文庫で入手しやすいものを挙げますね。

一番入手しやすいかも。ただ、この一節については詳細な説明はありません。

これも入手しやすい。簡単な説明があります。

これも入手しやすいですね。簡単な説明があります。

これは古書としてしか入手できないかな。とはいえ、入手が難しいものではないです。
そして、これが解説としては一番詳しいです。昔の注釈者の名前とかそこそこ出ますが、良くまとまっています。