陸友仁 『研北雑志』巻下(小紅順陽公)

漢籍翻訳

【本文】
小紅順陽公即范石湖青衣也。有色藝。順陽公之請老、姜堯章詣之、一日授簡徴新聲。堯章製暗香疎影兩曲。公使二妓肄習之、音節清婉。堯章歸呉興、公尋以小紅贈之。其夕大雪。過垂虹賦詩曰、自琢新詞韻最嬌 小紅低唱我吹簫 曲終過盡松陵路 囘首烟波十里橋。堯章毎喜、自度曲吟洞簫、小紅輒歌而和之。

【訓読】
小紅は順陽公(即ち范石湖なり)の青衣なり。色藝有り。順陽公の請老するに、姜堯章、之を詣して一日簡を授け新聲を徴(あらわ)す。堯章は暗香・疎影の兩曲を製す。公、二妓をして之を肄習せしめ、音節清婉たり。堯章呉興に歸るに、公尋ねて小紅を以て之に贈る。其の夕、大いに雪ふる。垂虹を過ぐるに詩を賦して曰く、「自琢新詞 韻最も嬌なり 小紅低唱して 我簫を吹く 曲終れば 過ぎ尽くす 松陵への路 首を回らせば 烟波 十里橋」。堯章毎に喜び、自ら曲を度(ととの)え、洞簫を吟じ、小紅輒ち歌いて之に和す。

【語釈】
〇小紅  歌妓の名前。
〇范石湖 范成大、字は致能。石湖居士と号した。
〇青衣  侍女。女の召使い。
〇色藝  容色と技芸。
〇請老  官吏が退職と自適を願い出る。
〇姜堯章 姜夔、字は尭章。
〇肄習  練習する。
〇清婉  清らかでなまめかしい。
〇過垂虹 垂虹亭へ行く道を通り過ぎる。この時に読んだ詩が「過垂虹」詩として『白石道人詩集』に収められている。
〇琢   文章を磨き上げる。
〇十里橋 十里(約5km)毎に架かる橋か。
〇呉興  地名。
〇度   作曲する。
〇洞簫  尺八に似た笛。

【通釈】
小紅は順陽公(范石湖、范成大)の侍女である。美しく、芸達者であった。順陽公が退職を願い出た際、姜夔は彼を訪れ、一日授簡、新しい歌曲を作った。姜夔は「暗香」と「疎影」の二つの詞を作った。順陽公は二人の侍女にこれを習わせると、清らかで艶めかしく歌えるようになった。姜夔が呉興に帰る際、順陽公は姜夔を訪ね、小紅を彼に贈った。その夕方、大雪となった。垂虹亭を通り過ぎた際に、次の様な詩を詠んだ「」姜夔はいつも嬉しそうに、自ら作曲して、笛を吹いた。すると小紅は彼に合わせて歌った。

【注釈】
ここに記されている姜夔が詠んだ「過垂虹」詩は、『白石道人詩集』に録されているものと異同がある。起句の「自琢」が「自作」、結句の「十里橋」が「十四橋」となっている。

【本文】
堯章後以疾没故。蘇石挽之曰、所幸小紅方嫁了、不然啼損馬塍花、宋時花藥皆出東西馬塍、西馬塍皆名人葬處。白石没後、葬此、蘇石謂、小紅若不嫁、則啼損馬塍花時矣。

【訓読】
堯章は後に疾を以て没す。故に蘇石之を挽して曰く、「所幸 小紅方に嫁し了(おわ)んぬ、然らずんば 馬塍花(ばしょうか)に啼損す」と。宋の時、花藥は皆、東西馬塍に出づ、西馬塍は皆、人葬處と名づく。白石没せし後、此に葬むらる。蘇石の謂うところは、小紅若し嫁せずんば、則ち馬塍花の時に啼損するなり。

【語釈】
〇蘇石  『宋詩紀事』巻五十九に「石、慶元中溧陽令」とあり慶元年間(1195~1200)に溧陽令になった人物。銭鍾書『宋詩紀事補正』八巻に「按、「石」当作「泂」。此沿≪研北雑志≫之訛。」とある。蘇泂、字は召叟、号は冷然斎、紹興山陰の人。
〇挽
〇馬塍花 合歓花(ねむのはな)の異名。

【通釈】
後に姜夔は病のために死去した。このため、蘇石は挽歌を作った「・・小紅はちょうど嫁いでいて良かった。そうでなければ合歓の花を見て泣き崩れていただろう」と。宋の時代、花の薬は東西馬騰の地で取れたが、西馬塍は皆、人葬處と呼んでいた。姜夔が死去した後、ここ(西馬塍)に葬られた。蘇石が伝えたかったのは、小紅がもし結婚していなかったら、合歓の花が咲く頃に泣き崩れることになっていただろうということである。

【注釈】

【参考文献】
『四庫全書』所収 陸友仁『研北雑志』
厲鶚『宋詩紀事』
銭鍾書『宋詩紀事補正』

 

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