和胡西曹示顧賊曹一首 胡西曹に和し顧賊曹に示す一首
01 蕤賓五月中 蕤賓(すいひん) 五月の中
02 清朝起南颸 清朝 南颸(なんし)起こる
03 不駃亦不遲 駃(はや)からず 亦た 遅からず
04 飄飄吹我衣 飄飄として 我が衣を吹く
05 重雲蔽白日 重雲 白日を蔽い
06 閑雨紛微微 閑雨 紛として微微たり
07 流目視西園 流目して 西園を視れば
08 曄曄榮紫葵 曄曄として 紫葵栄(さか)う
09 於今甚可愛 今に於いて 甚だ愛す可し
10 奈何當復衰 當に復た衰うるを 奈何せん
11 感物願及時 物に感じては 時に及ばんことを願うも
12 每恨靡所揮 每に恨む 揮う所靡(な)きを
13 悠悠待秋稼 悠悠として 秋稼を待ち
14 寥落將賖遲 寥落として 将に賖遲(しゃち)ならんとす
15 逸想不可淹 逸想 淹(とど)む可からず
16 猖狂獨長悲 猖狂として 独り長く悲しむ
【韻字】
颸、衣、微、葵、衰、揮、遲、悲
【校勘】
【語釈】
〇和胡西曹示顧賊曹一首
「和」は贈られた詩に対して、詩をもって返すこと。「胡西曹」は「胡」という姓の「西曹」という官職についた人物。「顧賊曹」も同様に、「顧」という姓の「賊曹」という官職についた人物。胡西曹が陶淵明に詩を贈り、陶淵明が胡西曹にこの詩をもって返す際、この詩を顧賊曹に披露したということ。胡西曹・顧賊曹、二人の経歴は不明。「西曹」「賊曹」という官職について、大矢根は『まず晋書職官志を見よう。「郡皆置太守」の下文に、「又置主簿、主記室、門下賊曹議生、門下史、記室史、録事史、書佐、循行(斠注には循行は当に修行に作るべしと)、幹、小史、五官掾、功曹史、功曹書佐、循行、小史、五官掾等員」とある。また功曹書佐のところに斠注では「通典三十二曰、晋以来改功曹、為西曹書佐。案本志尚作功曹。蓋西晋初制、或江左始改西曹。」と見えている。これによって西曹・賊曹が東晋郡下の下級属官吏であることの確認を得た。』としている。古直は「西曹」について『通典巻三十二「州之佐吏、功曹書佐一人、主選、用漢制也。晋以来改功曹、為西曹書佐。宋有別駕西曹、主吏及選挙、即漢之功曹書佐也。」』と、州の官吏としている。また「賊曹」について『通典巻三十三「郡之佐吏、司法参軍、両漢有決曹、賊曹掾、主刑法、歴代皆有。或謂之賊曹、或為法曹、或為墨曹、隋以後与功曹同。」』と、郡の官吏としている。
温は「據≪宋書・百官志下≫西曹是州郡中的官、主管吏及選挙事、相当於漢朝州中所設的功曹書佐。」とし、逯は『≪宋書・百官志≫「江州又有別駕祭酒、居僚職之上。別駕西曹主吏及選挙事、即漢之功曹書佐也。祭酒分掌諸曹兵、賊、倉、戸、水鎧之属。』としている。
陶淵明は江州祭酒として出仕していたことがあり、胡西曹・顧賊曹はその時の同僚、もしくは部下であるか。胡西曹は詩をやりとりするほどでなので教養ある人物と思われるが、顧賊曹もこの詩を披露されているということで、詩興を解する人物であったのであろう。
〇蕤賓五月中 清朝起南颸
「蕤賓」は古代の音律である十二律の一つ。この十二の音律を十二ヶ月に割り当てると「蕤賓」は五月に相当する。郭は「古代音楽分五音・十二律。五音是、宮、商、角、微、羽。十二律是黄鐘、大呂、太簇、夾鐘、姑洗、仲呂、蕤賓、林鐘、夷則、南呂、無射、応鐘。」としている。『礼記』月令に「仲夏之月、・・・其音微、律中蕤賓。(仲夏の月、・・・其の音は微、律は蕤賓に中る。)」とあり、また『呂氏春秋』音律に「大聖至理之世、天地之気、合而生風、日至則月鐘其風、以生十二律。仲冬曰短至、則生黄鐘、季冬生大呂、孟冬生太簇、仲春生夾鐘、季春生姑洗、孟夏生仲呂、仲夏曰長至、則生蕤賓、季夏生林鐘、孟秋生夷則、仲秋生南呂、季秋生無射、孟冬生応鐘。天地之風気正、則十二律定矣。(大聖至理の世、天地の気、合して風を生じ、日至れば則ち月は其の風を鐘(かね)うち、以て十二律を生ず。仲冬は短至と曰い、則ち黄鐘を生じ、季冬は大呂を生じ、孟冬は太簇を生じ、仲春は夾鐘を生じ、季春は姑洗を生じ、孟夏は仲呂を生じ、仲夏は長至と曰い、則ち蕤賓を生じ、季夏は林鐘を生じ、孟秋は夷則を生じ、仲秋は南呂を生じ、季秋は無射を生じ、孟冬は応鐘を生ず。天地の風気正しければ、則ち十二律定まるなり。)」とあり、各月に吹く風が異なる音律を生じているとする。「自祭文」にも「無射」が用いられており、琴を愛した陶淵明が音律に敏感であったことを示している。
「清朝」は清々しい朝。
「南颸」は涼しい南風。『広雅釈詁』に「颸、風也。(颸、風なり。)」とあり、『説文新附』に「颸、涼風也。(颸、涼風なり。)」とある。いくつかの注釈で『説文解字』に「颸、涼風也。」とするものがあるが『説文解字』にはない。『康煕字典』にその記載があり、それに拠ったもので思われるが誤り。謝朓「在郡臥病呈沈尚書(郡に在りて病に臥し沈尚書に呈す)」詩に「珍簞清夏室、軽扇動涼颸(珍簞 夏室に清く、軽扇 涼颸を動かす)」とある。
「蕤賓」は五月の別称というだけでなく、五月の「南颸」が「蕤賓」の律を奏でているということであろう。とても爽やかな句である。
〇不駃亦不遲 飄飄吹我衣
「駃(かい)」は馬が疾く走る、速いの意。各本、この字を「駛(し)」としている。「駛」も意味は同じ。「不駃亦不遲」は前句に「起南颸」とあるので、風が強くもなく、弱くもなく、心地良く吹いていることをいう。新釈は同じく遞修本を底本としているが、この異同を指摘していない。王僧孺「送殷何両記室(殷何両記室を送る)」詩に「飄飄暁雲駃、瀁瀁旦潮平(飄飄として暁雲駃(はや)く 瀁瀁として旦潮平らかなり)」とある。
「飄飄」は風が吹く様。陶淵明「帰去来辞(帰去来の辞)」に「舟遙遙以輕颺、風飄飄而吹衣(舟は遙遙として以て軽く颺(あが)り、風は飄飄として衣を吹く)」とある。
〇重雲蔽白日 閑雨紛微微
遞修本では「雲」字の下に「一作寒」とある、龔注は「「重」曽本、咸豊本云、一作「寒」」とし、逯󠄀注はやはり「雲」字の下に注して「曽本云、一作寒。案字当是重之異文。」といい、「雲」字の異同ではなく、「重」字の異同としている。これが正しい。
「重雲」は幾重にも重なった雲。
「白日」は太陽のこと。『古詩十九詩』其一に「浮雲蔽白日、游子不顧返(浮雲 白日を蔽い、游子 顧返せず)」とある。
「閑雨」は小雨。
「紛微微」は魏注に「細微而頻繁(細微にして頻繁たり)」とあり、小糠雨のようなものか。
〇流目視西園 曄曄榮紫葵
「流目」は視線を移すこと。張衡「思玄賦」に「流目眺夫衡阿兮、覩有黎之圮墳(流目して夫の衡阿を眺(み)、有黎の圮墳を覩る」とある。
「西園」は西側にある庭。
「曄曄」は美しく盛んに茂っている様。鍾会「菊花賦」に「芳菊始榮 紛葩曄曄(芳菊 始めて栄え、紛葩として曄曄たり)」とあり、潘岳「寡婦賦」に「榮華曄其始茂兮、良人忽以捐背(栄華曄として其れ始めて茂り、良人忽ち以て捐背す)」とある。
「榮」は花が咲くこと。
「紫葵」はどの花を指すか不明。紫の花としておく。
〇於今甚可愛 奈何當復衰
「於今」は現在。「當」字の下に「一作後」とあり、「衰」字の下に「一作當奈行復衰」とある。また焦本に「一作當樂行復衰、非」とある。王注では他と比較して「奈何當復衰」が良いとしている。
「衰」は勢力や気力が失われる様、歳を取る様、落ちぶれる様を表し、ここでは前句にある紫葵がしぼみ、枯れることを言う。「長歌行」に「青青園中葵、朝露待日晞、陽春布徳澤、萬物生光暉、常恐秋節至、焜黄華葉衰(青青たり 園中の葵、朝露 日を待ちて晞(かわ)く、陽春 徳澤を布き、万物 光暉を生ず、常に恐る 秋節至り、焜黄して華葉の衰えんことを)」とあり、龔注は「流目」からの四句は「長歌行」の詩意に近いことを指摘している。大矢根は「この句をおのが現在の若さとやがて訪れる衰老とを寓意していると解するのは考え過ぎであろうか」といい、また楊注では「此乃比興之詩、「白日」「紫葵」蓋指晋室、衰者、当時大臣飛揚、国脈行見衰落也」といい、「白日」「紫葵」を晋王朝に喩え、それが衰えていることを表現しているとしている。
〇感物願及時 每恨靡所揮
「感物」は、外界の事物に触発される、刺激を受けること。「物」はここでは「紫葵」のこと。曹植「贈白馬王彪(白馬王彪に贈る)」詩に「感物傷我懐、撫心長太息(物に感じて我が懐いを傷ましめ、心を撫して長太息す)」とある。潘岳「悼亡詩」其三に「悲懷感物來、泣涕應情隕(悲懐 物に感じて来たり、泣涕 情に応じて隕(お)つ)」とある。張協「雑詩」に「感物多所懷、沈憂結心曲(物に感じて 懐う所多く、沈憂 心曲に結ぶ)」とある。
「及時」は、時機に合わせて自分の力を発揮する意。『易経』乾・文言伝に「君子進徳修業、欲及時也(君子徳に進み行を修めるは、時に及ばんことを欲するなり)」とある。
「揮」は三つの解釈がある。第一は杯を「揮(と)る」の意。林田や温注は、陶淵明が酒を飲む時の描写に「揮」字をよく使うことを指摘している。陶淵明「時運」詩に「揮茲一觴」、「還旧居」詩に「一觴聊可揮」、「雑詩」に「揮杯勧孤影」とある。第二は、杯を「揮(ふる)う」の意。杯中の余滴を揮って捨てること。『礼記』曲礼に「飲玉爵者弗揮(玉爵に飲む者は揮わず)」とあり、その注に「揮音輝、何云、振去餘酒曰揮(揮の音は輝、何云わく、餘酒を振るい去るを揮と曰う」とある。第三は能力を「発揮する」、力を「揮(ふる)う」の意。ここでは前句の「願及時」と呼応していると考え、第三の意を採る。
〇悠悠待秋稼 寥落將賖遲
「悠悠」は憂鬱なさま。『詩経』国風・周南「関雎」詩に「悠哉悠哉 輾轉反側(悠なる哉 悠なる哉、輾転反側す)」とある。
「秋稼」は仕官して得られる収入のこと。秋の収穫のこと、とりわけ酒を造るための穀物の収穫と注するものがあるが採らない。
「寥落」は落ちぶれているさま。まばらなさまや寂しいさまと注するものがあるが採らない。
「賖遲」は遅い、ぐずぐずしているさま。逯󠄀注は「過時、不及時」として、時機を逃すとしている。『晋書』郗超伝に「超又進策於温曰・・・若此計不從、便當頓兵河濟、控引糧運、令資儲充備、足及來夏、雖如賖遲、終亦濟剋(超又た策を温に進めて曰く・・・若し此の計従わざれば、便ち当に兵を河済に頓(とど)め、控引して糧運し、資儲充備し、来夏に及ぶに足らしめば、賖遅の如しと雖も、終に亦また済剋せん)」とある。遙かに待つ、待ち遠しいと注するものがあるが採らない。古直は、『文選』の李善注に「賖、緩也」とあるとしている。これは謝朓の「和王主簿怨情一首(王主簿の怨情に和す一首)」詩の「徒使春帶賖、坐惜紅粧變(徒(いたずら)に春帯を賖(ゆる)からしめ、坐(むな)しく紅粧の変ずるを惜しむ)」の注であるが、これは「緩(ゆる)い」の意であり採らない。
〇逸想不可淹 猖狂獨長悲
「逸想」は龔注が「謂超俗出羣之想」とし、新釈は「常識を逸脱した奔放な考え」としており、これを採る。出仕せず帰隠したいという思い。
「淹」は久しく留まる。『春秋左氏伝』宣公十二年に「二三子、無淹久(二三子 淹久すること無かれ)」とあり、杜預注に「淹、留也(淹は留なり)」とある。また広韻に「淹、漬也滯也久留也(淹は、漬なり、滯なり、久しく留まるなり)」とある。
「猖狂」は新釈の「常軌を逸した勝手気ままな様」とするのが適当か。『荘子』在宥編に「浮遊不知所求、猖狂不知所往(浮遊して求むる所を知らず、猖狂して往く所を知らず)」、山木編に「猖狂妄行乃蹈乎大方(猖狂妄行して乃ち大方を踏む)」、庚桑楚編に「吾聞至人尸居環堵之室而百姓猖狂不知所如往(吾聞く、至人は環堵の室に尸居し、而して百姓は猖狂して往く所を知らず)」とあり、いずれも、ほしいまま、何も考えない様を表す。『文選』所収、揚雄の「趙充国頌」に「先零猖狂侵漢西疆(先零は猖狂として漢の西疆を侵す)」とあり、その六臣註に「翰曰・・・能廣大其徳奄有諸羌、而猖狂背叛、侵於西疆也(翰曰く・・・能く広大なる其の徳もて諸羌を奄有するも、猖狂として背叛し西疆を侵すなり)」とあり、野蛮な様を表し、同じく『文選』所収、何晏の「景福殿賦」に「鎮以崇臺、寔曰永始。複閣重闈、猖狂是俟(鎮むるに崇臺を以てし寔を永始と曰う。複閣重闈あり、猖狂是れ俟つ)」とあり、六臣註に「良曰・・・猖狂賊也(良曰く・・・猖狂は賊なり)」とあり、野蛮な賊を表す。適当な用例が見当たらないが、制御できない、常軌を逸しているというニュアンスか。
【通釈】
蕤賓の音律を奏でる五月、
爽やかな朝に、南から涼しい風が吹いてきた。
その風は強くもなく弱くもなく、
ふわりと私の着物の吹き上げた。
やがてぶ厚い雲が日の光を遮り、
ぱらぱらと小糠雨が降ってきた。
西側の庭に視線を移すと
紫の花が美しく咲き誇っている。
今はこの花を思い切り愛でるべきだと思うが、
ついつい、この花がしおれてしまうことを考えてしまう。
この美しい花を見ると、自分の役割を果たさなければと思うのだが、
自分にはそれができないのではないかと、常々残念に思っている。
鬱々とした気分で、仕官の時を待つ有様だが、
情けないことに、ぐずぐずと思い悩んでいる。
常識はずれな思いがあふれ出て、抑えることができず、
狂わんばかりに、独りずっと悲しんでいる。
【解説】
この詩は四句、六句、六句の三段に分けて考えたい。
第一段の四句であるが、五月の朝のとても爽やかな情景から詠み起こされている。胡西曹への和詩であることから、胡西曹および顧賊曹のことを五月の爽やかな風に喩えているのであろう。「駃からず 亦た 遅からず」とあるので、おそらく彼らは陶淵明と違って、順調に昇進して今の地位に至ったものと思われる。胡・顧の両氏は昔、陶淵明の同僚であったのかも知れない。胡西曹の詩が残っていないのであくまで想像ではあるが、胡西曹はまた陶淵明とともに働きたい旨を読み込んだ詩を彼に送ったのではないか。そのようにして彼らが接点を持ってくれたことを「飄飄として 我が衣を吹く」と喩えたのであろう。
第二段の六句は、順調な胡・顧両氏に比べて、順調ではない陶淵明自身のことを述べている。「流目して 西園を視れば 曄曄として 紫葵栄う」などは、陶淵明から胡・顧両氏が当時の一般常識からして、理想的な人生を送っているように見えたのではないか。ただ、それを羨ましいと思っているのではなく、社会から要請されるそのような人生を自分は送ることができない、送りたくないという気持ちが「當に復た衰うるを 奈何せん」というところに出ているようである。
第三段の六句は、その社会から要請される生き方と、陶淵明自身の思いとの違いによる葛藤に苦しむ様子が詠われている。陶淵明自身も頭では仕官しなければならないことは分かっているのだが、一方でそれを良しとしない心からの欲求があることを「物に感じては 時に及ばんことを願うも 每に恨む 揮う所靡きを」と言っているのであろう。「秋稼を待ち」というのは、母の死去により喪に服していたのが、間もなく喪が明けることを言っていると思われる。喪が明ければ仕官をせねばならないが、そうしたくない気持ちが「寥落として 将に賖遲ならんとす」によく現れている。「逸想」は仕官せず帰隠したいという思いだが、この語を用いているのは、陶淵明もそれが常識はずれであることを充分に理解していることを表している。儒教的価値観と自分の本当の欲求との狭間で苦悩する様が、「猖狂」の語に圧縮されているように思われる。ただ『荘子』の用例からすると、陶淵明自身も自分の欲求に従うことは勝手気ままな行為という意識があって、この時点ではやや後ろめたく感じているのかも知れない。